大分の文化

文化で綴る大分の風景⑳「漢詩で温(たず)ねる先達の想い3」

2014年03月27日(木)
(2289回)

隈川雑詠
 
龜山は宛(えん)として 水の中央に在り
傳(つと)う是れ 毛侯(もうこう)の古戦場 
畫戟(がげき)彩旌(さいせい) 空しく一夢(いちむ)
蘆花(ろか)亂れ發(ひら)いて 月蒼蒼(そうそう)
 
                  広瀬 淡窓


龜山・・・日田市内の小山で、隈城があった。
宛・・・ちょうど、あたかも
毛侯・・日田の隈城主をしていた毛利氏は1601年に佐伯に封じられた。
画戟彩旌・・・美しく飾った鋒や彩りも鮮やかな旗、差物.
蘆花・・・あしの花
蒼蒼・・・あおあおとしている様。また、あおみを帯びている様

広瀬淡窓

日田出身の江戸時代の儒学者で、教育者、漢詩人。
日田の長福寺に塾を開き、これを後の桂林荘、咸宜園へ発展させた。
咸宜園は1897年まで存続し、入門者は全国各地から集まり、延べ4000人を超える日本最大級の私塾となった。
豊後三賢人の一人。
日田市長や衆議院議員(郵政大臣)だった広瀬正雄氏は淡窓の弟の広瀬久兵衛の子孫で
あり、その子息は現大分県知事の広瀬勝貞氏である。

詩を題す
 
數角(すうかく)の前山 一半(いっぱん)空し
満江の疎雨(そう) 微風を帯ぶ
波光柳影 茫(ぼう)として辯(べん)ずるなく
人語掉聲(とうせい) 深緑の中(うち)
 
               田能村竹田(犬飼町犬江釜峡にて)

數角・・・切りたったいくつかの
前山・・・船の前方に見える目標となる山
一半・・・半分
空し・・・開けてみえる
満江・・・川一面
茫(ぼう)として・・・ぼんやりしてうつろなさま
疎雨・・・そぼふる雨 
辯ずる・・・区別する
掉聲・・・櫓(ろ)の音

田能村竹田

江戸時代後期の南画(文人画)家。詩文を得意とし旅を好み日本各地を遊歴。
岡藩医の次男として生まれ、藩校由学館に学び、後に由学館の儒員となり、
唐橋君山の下で「豊後国志」の編纂に従い頭取にまで進んだ。
帆足杏雨、後藤碩田、高橋草坪、田能村直入など多くの門下生を育てた。
いまも市内の高台にある竹田荘は竹田が画業に専念するために1790年に建てられた。

 

   【筆者紹介】

   足達賢二(あだちけんじ) 

    竹田市久住町出身
    2012年3月まで大分県職員
    大分県中部振興局長、大分県職員研修所長、県民生活・男女共同参画課長、大分県消費生活・男女共同参画プラザ所長などを歴任。
 

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