大分の文化

文化で綴る大分の風景㉕「春浅き光遍しの豊肥路」

2015年01月13日(火)
(1324回)

まだ春浅い1月の春光の日ざしを遍(あまね)く受けながら豊後大野市の
朝地町志賀地区まで出かけてみました。
国道57号線を竹田方面に向かい道の駅あさじの手前を左折して奧に入り
込むと志賀地区に若宮井路を見ることが出来ます。
若宮井路は豊後大野市朝地町南部の丘陵地帯などや緒方町の一部を潤す
約17キロの用水路です。その用水路を造ろうとしたのが伊東俊次郎です。
 

伊東俊次郎は1822年豊後大野市朝地町志賀地区に生まれ、畑作を中心と
していた若宮原に水を引き、安定した米作りができるようにと、1875年、
俊次郎53歳の時に若宮水路の測量を始め、1890年に実測図完成するも
翌年没しました。伊東俊次郎の遺志を継いだのが田仲義一郎(竹田岡藩士から
県職員を経て県議会議員)。初代上井田村長渡辺要蔵と相図り、要蔵の兄である
朝倉親為代議士(衆議院)の力を借りて勧業銀行からの融資にこぎ着けて水路工事
に取りかかり、1901年に200ヘクタールの耕地に用水する若宮井路が完成し
ました。
 

国道57号線から神角寺方面に行くと「朝倉文夫記念館」があります。平成3年にオープンし、豊後大野市朝地町出身の彫刻家朝倉文夫の作品を常設展示しており、アジアの若手彫刻家の登竜門として知られる「大分アジア彫刻展」も開催されています。

 
      ふるさとの 月悲しからず唯清し
                       朝倉文夫  
 

「月に叢雲花に風」とは悲しみの譬え。せっかくの名月を雲が隠し、花が咲けば風が散らしてしまう。好事にはまこと魔がまとう。だが、わが故里の月は違うよ。その純粋の境。
 
 

朝倉文夫
1883年(明治16年)豊後大野市朝地町生まれ。日本美術界の重鎮であった彫塑家
上井田村村長であった渡辺要蔵の三男として生まれる。10歳の時に朝倉親為の弟の朝倉種彦の養子となる。文化勲章受賞。文化功労者。代表作「墓守」ほか多数。
 
 

    春光り 朝倉文夫記念館
                田中三樹彦

ひたすらに神に祈って求めれば、それに応じて神が正しい信仰と正しい心を与えてくれるという。芸術家朝倉文夫の作品は、ことごとく春光遍しの輝きがある。芸術即信仰の重み。
 
田中三樹彦
昭和6年中津市山国町生まれ。「蕗」所属。
 

   【筆者紹介】

   足達賢二(あだちけんじ) 

    竹田市久住町出身
    2012年3月まで大分県職員
    大分県中部振興局長、大分県職員研修所長、県民生活・男女共同参画課長、大分県消費生活・男女共同参画プラザ所長などを歴任。
 

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