大分の文化

文化で綴る大分の風景㉗「杉の津江路1」

2015年09月28日(月)
(1026回)

玖珠町の角牟礼城跡から更に西へ、日田市の津江地区へ。前津江町の釈迦岳の椿ヶ鼻ハイランドパークに。標高940m前後の広大な椿ケ鼻高原にはキャンプ場のほか、ロッヂなどの施設を中心に、アスレチック・サイクリング・バーベキューパーティーまで出来る施設があります。近くには大蔵永季の1071年創建とされ、菅原道真をまつる大野老松天満社があります。旧本殿は三間社流造、屋根は板葺で、九州では数少ない室町時代の本格建築で国の重要文化財に指定されています。大蔵永季は日田市の慈眼山を拠点とした豪族で「日田どん」とも呼ばれ、京の相撲の節会に出場した記録が残っており、相撲の神様とされています。
 
底霧に 杉美しき育ちかな
            合原 泉
 
日田林業の中核として貴重な森林資源を有し、筑後川の水源地域の前津江町。津江山系県立自然公園に指定され付近の山にはシャクナゲなど群生。底霧の句の背景となる。
 
合原 泉
昭和3年大分県玖珠町生まれ。「蕗」所属。

椿ヶ鼻ハイランドパークから中津江の地底博物館鯛生金山へ。金鉱石が発見されたのが明治27年。昭和初期の全盛期の坑道の総延長は110Kmで、500mにも達する竪坑が5本も掘られ、東洋一の金産出量を誇り、従事者3000人を抱える大金山となりました。 昭和47年に閉山し、昭和58年「地底博物館鯛生金山」として蘇り、約800mの観光コースは、実際に掘られた坑道を歩きながら、当時使われた機械、人形等を使って、採掘の歴史等を再現しています。平成19年には経済産業省の「近代化産業遺産」に登録されました。
 
藪の梅雪の如くに 鉱山の道
             山口青邨
 
大正の頃、鯛生はわが国最大の金山。昭和33年鉱山学者の作者が視察。その後閉山。金鉱閉じても紅葉の津江は・・・の小唄あり。ワールドカップのサッカーで有名となる。
 
山口青邨
明治25年岩手県盛岡市生まれ。「夏草」創刊主宰。

索道の下るや 藤の渓揺るる
            江田 居半
 
津江山系県立自然公園に町の80%が指定されている中津江町。日田杉の山地として林業が盛んである。「索道の下るや」の空中ケーブルの景の句は、美しい町の象徴。
 
江田居半
大正15年大分県天瀬町生まれ。「夏爐」所属。

 【筆者紹介】

  足達賢二(あだちけんじ) 

竹田市久住町出身
2012年3月まで大分県職員
大分県中部振興局長、大分県職員研修所長、県民生活・男女共同参画課長、大分県消費生活・男女共同参画プラザ所長などを歴任。
 

facebookコメント
一覧に戻る