大分の文化

文化で綴る大分の風景⑩「耶馬渓の路1」

2013年03月28日(木)
(4000回)

昨年7月の北部九州豪雨の際は雨の中日田市で用事を済まし中津方面に向かいましたが、
山から流れ出してくる水に車がさらわれそうで途中耶馬渓で引き返しました。
普段は静かで小鳥さえずる景勝の地なのに自然の猛威の中ではなすすべもありませんでした。
耶馬渓は中津市の山国川の上中流にある渓谷で1818年に訪れた頼山陽が、
「耶馬渓天下無」と漢詩に詠んだのが、耶馬渓という名前の起こりです。

 
峯容面々(ほうようめんめん)看るを趁(お)うて
殊なる耶馬溪山天下に無し 
いづくんぞ彩亳董巨(さいごうとうきょ)の如きを得て
生絹(せいけん)一丈横図(おうづ)を作(な)さん
 
彩亳は美しい筆、詩文書画の優れた手腕の意味。彩筆。
董巨は南宗画の祖。

耶馬渓町柿坂にあった頼山陽の詩碑は7月の豪雨で流失。
地元有志の方が「燦々プロジェクト」活動を始め再建を目指しています。
 
新芋の耶馬の 山かけそばすする
 
江戸中期の漢学者頼山陽が命名した耶馬渓。錦雲峡、一目八景、麗谷、紅葉谷などの景勝地がつづく。
窓に目を遊ばせながらの新芋の山かけそばはさぞ美味しかろう。耶馬の旅情。

小野文珠
明治44年、玖珠町生まれ。蕗所属。

屏風なら たためるものを 春の耶馬
 

奇岩怪岩、岩帯岩峰の耶馬の地。古くから山国の郷。
旧耶馬渓町は耶馬渓、津民、山移、深耶馬渓、下郷の五ヶ村が合併して昭和40年に町制施行。
景色にはいずれも生活の匂いがある。

 
中原道夫
昭和26年、新潟県生まれ。「銀化」創刊主宰。

 

   【筆者紹介】

   足達賢二(あだちけんじ) 

    竹田市久住町出身
    2012年3月まで大分県職員
    大分県中部振興局長、大分県職員研修所長、県民生活・男女共同参画課長、大分県消費生活・男女共同参画プラザ所長などを歴任。
 

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