大分の文化

文化で綴る大分の風景⑪「耶馬渓の路2」

2013年04月01日(月)
(3766回)

耶馬渓はこの地に来遊した頼山陽がもともと山国谷と呼ばれていた谷を
中国風に耶馬渓と名付け、帰京後、詩と記文と図からなる「耶馬渓図巻記」を
著わしたことから、以降名勝と知られるようになりました。
耶馬渓図巻記には山陽が雲華上人に「ここで生まれ育った上人は見慣れているが
故に山水の「奇」なる様に気づかないのだろう」
と述べています。
茶屋の主人も「山に何の好看有る」と山陽を訝しんだそうです。
今も昔も地元の人は見慣れているが故に地元の良さ、すばらしさに気づかない
ことも多いのかもしれません。
最近では辻野功大分学研究会会長などの活動で「大分の魅力を発見する」
気運が地元大分でも盛り上がっています。
 
雲華上人
末弘雲華(うんげ)
江戸後期の真宗の僧。東本願寺学寮の講師で詩文・書画にすぐれ蘭の絵で有名。
1773年に竹田市の満徳寺に生まれる。養子となり中津市永添の正行寺に入る。
頼山陽や田能村竹田などと親交があった。


故里のがん汁うまき 二月かな

 
扁平な体で一対のはさみと四対の脚を持ち、横に走るのが得意。
食用の多くは海産であるが、この蟹汁は沢に棲息する川蟹。
本耶馬渓での子どもの日々を思いながら、盃を重ねる。
 
遠入たつみ
明治29年中津市本耶馬渓町生まれ。「芹」「蕗」所属。


滴りの洞門くらく 馬冷やす

 
山国川本流に沿って断崖絶壁をなす岩峰。
競秀峰といわれる帯岩を掘削して禅海は隧道をつくる。
菊池寛の「恩讐の彼方に」の青洞門。歴史の場面での暮らしの一景。
 
江渕雲庭
明治38年宇佐市生まれ。「沖」所属。

 
 
凩や岩に取りつく 羅漢路
 
夏目漱石
慶應3年(1867年)東京生まれ。大学時代に正岡子規に俳句を学ぶ。

 

   【筆者紹介】

   足達賢二(あだちけんじ) 

    竹田市久住町出身
    2012年3月まで大分県職員
    大分県中部振興局長、大分県職員研修所長、県民生活・男女共同参画課長、大分県消費生活・男女共同参画プラザ所長などを歴任。
 

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