大分の文化

文化で綴る大分の風景⑫「大分の万葉集の路2 倉無しの浜と名欲山」

2013年05月27日(月)
(4246回)

大分で詠われた万葉集6首の内、残り3首は、中津の龍王浜(?)と直入山(名欲山)。
名欲山は竹田市城原(きばる)の西北部にある城原山のこととされています。

宇佐市安心院町を経由して中津市の海沿いの龍王町に行くと、
そこには闇無浜神社があり、境内には柿本人麿の歌碑がありました。
 
吾妹子(わぎもこ)が 赤裳(あかも)ひづちて 植えし田を
           刈りてをさめむ 倉無(くらな)しの浜
                               柿本人麿(の作といわれている)
 
乙女たちが赤い裳をぬらして植えた田を刈って収める倉は「倉の無いという浜」である。
 

柿本人麿は飛鳥時代の歌人。
山部赤人とともに聖歌と呼ばれています。
三十六歌仙の一人。


闇無浜神社

古代より敬崇厚く、太宰小弐の藤原広嗣が謀反を起こしたとき
朝廷は闇無浜神社に祈願して平定しました。
藤原純友の乱や蒙古襲来等でも祈願しています。
闇無浜は古より三保・高砂の松原にならぶ名勝の地で別名龍王浜と言います。


こぬか雨降る春の日に大分から竹田を経由して久住方面に向かい、城原地域で
旧道に入れば左に城原八幡社、道路を隔てて松原公園に万葉歌碑が建っています。

小山(丘)の松原公園の中央には古びた小さな鳥居があり、辺り一面を
名もない小さな黄色い花が埋め尽くし、その向こうに歌碑がひっそりと建っていました。

名欲山は雨のため見ることは出来ませんでしたが、黄色く花咲く丘は幽玄にして
幻想的でもあり、久遠の時を経ても古代に思いを馳せずにはいられませんでした。
私にとって、人に思いを寄せ続けて再びこの地を訪れることがあるのだろうか。

(藤井廣成を見送った恋人の歌)
 
明日よりは 吾は恋ひなむ 名欲(なほり)山
       石(いわ)ふみならし 君が越えいなば

                        

明日からは私は恋しく思う事でしょう、名欲山の石を踏みならして
君が越えて去っていったら。

 

(藤井廣成が恋人に答えた歌)
 
命をし まさきくもがも 名欲山 
      石ふみならし またまたも来む
                           藤井連廣成

 
命が無事で健やかであってほしい、そしたら名欲山の石を
踏みならしてまたまたやって来よう。(藤井廣成が任期を終えて京都にかえる時)



城原八幡社

景行天皇の御西征の御徳を称え現在の松原行宮跡に宮を建てて
祀ったのがこの神社の起源です。
竹田と久住方面をつなぐ国道442号線道沿いに鎮座しています。

 

   【筆者紹介】

   足達賢二(あだちけんじ) 

    竹田市久住町出身
    2012年3月まで大分県職員
    大分県中部振興局長、大分県職員研修所長、県民生活・男女共同参画課長、大分県消費生活・男女共同参画プラザ所長などを歴任。
 

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