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【おおいた芸術文化の旅 OITA Art&Culture】“竹・Bambooツーリズム”で 大分を楽しむ

“竹・Bambooツーリズム”で
大分を楽しむ

“竹・Bambooツーリズム”で大分を楽しむ

“竹・Bambooツーリズム”で大分を楽しむ

“竹・Bambooツーリズム”で大分を楽しむ

“竹・Bambooツーリズム”で大分を楽しむ

“竹・Bambooツーリズム”で大分を楽しむ

“竹・Bambooツーリズム”で大分を楽しむ

“竹・Bambooツーリズム”で大分を楽しむ

“竹・Bambooツーリズム”で大分を楽しむ

大分県立美術館の外壁を飾るデザインは竹工芸の「四つ目くずし」。
真竹の生産日本一の大分県では、日本を代表する温泉地・別府温泉で古くから湯治客の道具やお土産として「別府竹細工」が発達しました。別府で研鑽の積む職人から、やがて竹工芸初の人間国宝「生野祥雲齋」が登場。現在では、クラフトから高級花籃、さらに建築、現代アートの世界まで、国際的に活躍する竹工芸家が県内に在住しています。
清々しい竹林から生まれ出る竹工芸ならではの造形美。日本人ならではの美意識、感性にあふれた作品の数々を目で楽しみ、竹工芸家に出会い、体験もできる場所。
大分県の風土、歴史が織りなす竹工芸を高精細画像でじっくりとお楽しみください。

作品紹介

生野祥雲齋《したたれ編仿古花籠》1925(大正14)年

生野祥雲齋《したたれ編仿古花籠》
1925(大正14)年

生野祥雲齋が、竹工芸の修業を始めて2年目、22歳の時に制作した作品です。 現存する祥雲斎作品の中で最も古い花籠で、中国の古い青銅器を模した「唐物(からもの)」と呼ばれるジャンルの作品です。胴部のしたたれ編をはじめ、数種類の緻密な編粗技法を駆使した破綻のない造形が、祥雲齋の類い希な技術力の高さを物語ります。
花籠の底に最初期の「夢雀斎作(むじゃくさいさく)」の銘が彫られてあり、この作品の制作にあたって、祥雲齋はその着想を夢に見たと語っています。

生野祥雲齋《陽炎》1958(昭和33)

生野祥雲齋《陽炎》
1958(昭和33)年

昭和30年代前半、祥雲斎は工芸品の用途よりも造形に重点をおいた制作に取組み、細い竹ひごで構成される一連の彫刻的な作品を発表し、高い評価を受けました。
本作品は、その時期の代表的1点で、繊細で伸びやかな竹ひごを重層的に組むことで、カットグラスを思わせる多面体の空間を形作っています。艶やかなひごの連なりと重なりがあいまって、立ちのぼる空気の揺らぎやプリズムの光の交錯のような効果が生み出されています。

生野祥雲齋
(しょうの しょううんさい 1904-1974)

生野祥雲齋は、別府市に生まれました。本名秋平。大正12年から、高級籠師としてパリ万博等に出品していた佐藤竹邑斎に師事します。 2年間の修行の後に、独立して夢雀斎楽雲と称し、竹工家としての活動をはじめました。昭和15年に、文展にかわる奉祝展に初入選後、連続入選を果たし、昭和18年の第6回新文展では「心華賦盛藍」が特選、無鑑査となります。戦後は日展を舞台に、従来の竹工芸の用途よりも、造形に重点を追いた制作に取り組むようになり、独自の「櫛目編み」を活かした作品を展開します。 昭和31年第12回日展で北斗賞、第13回日展では特選・北斗賞を受賞し、同33年審査委員、翌年会員となりました。昭和40年からは日本伝統工芸展に出品し、同42年には竹芸で初めての重要無形文化財の保持者に認定されています。 初期の繊細な技巧をこらしたものから、彫刻的なもの、更に簡素な美しさを表現したものへと作風を変化させながら、常に芸術としての竹工芸の世界を切り開き、その発展に尽力しました。